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 明智光秀と熊川宿の関係に関心が高まっています!

(写真:熊川城郭と、沼田氏の供養塔・家康腰掛けの松がある得法寺)
 
 1570年(永禄13年)4月、木下藤吉郎(後の秀吉)や徳川家康を従えた織田信長は、越前の朝倉義景を討つため京都から敦賀へ向かう際、熊川で一泊しました。得法寺に泊まった家康は翌朝出発に際し、境内の松に腰を掛けたと言い伝えられています。その2日前、明智光秀は先遣隊として熊川に入り、細川藤孝らに平穏を知らせる書状を送っています。
 信長は敦賀において朝倉氏を攻めますが、浅井長政の裏切りにあい、熊川から朽木を抜けて命からがら京都へ逃げ帰りました。いわゆる「金ヶ崎の退き口」で、その時、藤吉郎と光秀らが殿(しんがり)となって迫る朝倉・浅井軍を防いだと言われています。
 大河ドラマでいよいよそのシーンが近づいてきました。若狭と近江の国境の要衝 熊川。大河ドラマでどこまで描かれるかわかりませんが、益々関心が高まるところです。


光秀の娘 たま(後の細川ガラシャ)役に芦田愛菜さんが決まりました。
 数々の苦難の中で人間愛を貫いた知性と信念の女性 たま。芦田愛菜さんの演技に注目です。
 ところで、たまの姑に熊川出身の細川麝香(じゃこう)という人物がいます。足利将軍直属の家臣で熊川城主でもあった沼田光兼の娘 麝香は、細川幽斎(藤孝)の妻となった人物です。
 幽斎は光秀の盟友でもあり、足利義昭の将軍任官に奔走したことで知られていますが、その夫を支え、細川家の礎(いしずえ)を築いたのが麝香です。生涯側室を持たず一途な愛を貫いた幽斎の心が息づく熊川のこの地こそ、究極の恋愛スポットと言えるかも知れません。
 そして、幽斎・麝香の間に生まれた長男 細川忠興の夫人となったのが、光秀の娘 たまです。人物像に照らしながら大河ドラマを見ると一層楽しめるのではないかと思います。


熊川城御城印を好評販売中!8月30日から再販を開始しています。
 現在、熊川の宿場館で、光秀の書状(レプリカ)の展示と、熊川城御城印の販売が行われています。御城印をお買い求めの方に、熊川城跡パンフレットを差し上げています。
 戦国ロマンに思いを馳せて、熊川宿へ訪れてみませんか!熊川城跡へは15分ほどで登れます。



 

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