■松木神社
若狭の領主となった京極高次は小浜城を築いたことで、年貢を増し労役を課した。領主が酒井忠勝になっても高い年貢は改められず、若狭の百姓たちは年貢引き下げの嘆願運動を十数年続けたが、聞き入れられなかった。最後まで嘆願を止めない松木庄左衛門は28才の若さで処刑された。そして悲願は聞き届けられ、大豆年貢の引き下げは実現。若狭の農民は篤く崇敬している。現在イベントなどで、大豆を入れた豚汁を「長操鍋」と名づけて振る舞っています。