■得法寺
家康腰掛けの松:1570年、織田信長は秀吉と家康をも従え、越前朝倉義景を攻めるため、京都から熊川を通り敦賀へ向かいました。この時、得法寺に泊った家康は境内の松に腰を掛けたとされ、今も根元だけが残ります。
沼田氏の供養塔:熊川城主沼田勘解由氏の供養塔。娘は麝香(じゃこう)といい、細川家初代藤孝(幽細)の妻。細川家17代護貞氏は平成5年に熊川を訪ねられ、18代護熙氏はかつての総理大臣。

八房の梅:蓮如上人の弟子のひとりが、越後の国の親鸞上人旧跡地の梅の小枝を蓮如上人に捧げた。上人はそれを受け取って、得法寺の庭前にさし、後に大樹八房の梅となった。